喜屋武マリーの青春
 
 沖縄ハード・ロックが語られる上で、紫やCONDITION GREENと共にMARIE WITH MEDUSAが欠かされることはない。沖縄ハード・ロックの女王・喜屋武マリー、彼女の伝記的な本の存在を知ったのは、沖縄ハード・ロックに執着し始めた頃だった。タイトルは「喜屋武マリーの青春」、利根川裕という人が書いたそうな。本屋に入る度に探し始めたのだが、全然見付けることは出来なかった。昔の本だろうし、古本屋で運良く見付かるのを待っている状態だった。沖縄の本屋には今でも何冊も並んでいるそうだけど、本買う為に行くのもなあ・・・。と、そんなもんもんとした日々を送っていた、

 ある日のこと。ケルトの民話の文庫本を読み終えて、その出版社の他の本の紹介を見ていると、なんと「喜屋武マリーの青春」が文庫化されて、載っているではないか!! アイルランドが導いてくれた沖縄!ということもあって、えらく興奮したなあ。後日、大型書店にて無事購入しました。

 利根川裕という人、なんてことはない。昔の深夜番組「トゥナイト」でキャスターをしていたあの人だ。で、番組でマリーの取材を行なったことがきっかけになって、一冊の本になったというわけ。内容の方は、マリーことのみならず、沖縄ハード・ロックの歴史を知る上で重大な資料でもあった。そして、沖縄ハード・ロックという、同時期の本土のロックとは異なる音楽性のムーブメントが起きた理由をを突き詰めると、戦争の悲惨さや、日本でありながら日本ではない沖縄という国のことを、ことごとく知ることが出来る。素晴らしい音楽の宝庫である沖縄ハード・ロックも、戦争がなければ生まれなかったのかもしれない。とても複雑な思いになる。私は、何度も目に涙を貯めて、この本を読むことになる。以下は本に書いてあった重大な事柄の抜粋と、私の読書感想文かなあ。

 マリーの誕生一つとってみても、戦争が絡んでくる。マリーは沖縄女性とアメリカ軍人の間に生まれた子だった。しかも父親はマリーが生まれる前にベトナム戦争で戦死している。小学校ではハーフということで、酷いいじめにもあった。ハーフが比較的多い土地に引っ越す。それでも差別は減らない。戦争さえなければ、そんな差別もなかっただろうに。中学校の同級生のハーフには、あのチビこと宮永英一がいた!ということは非常に興味深い。マリーが一方的にいじめられていたのに対して、チビさんは逆に同じハーフの友達がいじめられれば、仕返しにいくようなタイプだった。私が沖縄に興味を持ち始めるきっかけとなったのは、ある沖縄の人との出会いによるもの。その人の話では、チビとマリーは犬猿の仲とか。特にチビはマリーが本土デビューの際に、バック・メンバーを本土の人間に総替えしたことに怒っているとか。そんな仲ではあるけど、既に中学生の頃に2人は遭遇していたのだなあ。凄く不思議だね。

 マリーが音楽に関心を持つ頃、一人の男性に出会う。彼の名は喜屋武幸雄。のちにマリーの夫になる。そして沖縄ハード・ロックの祖先的な存在ということを私は知る。この本はタイトルはマリーが主役だけども、中身は幸雄と沖縄ハード・ロックの歴史が主体になっている。幸雄は生粋の沖縄人。赤ん坊だった頃に太平洋戦争を体験している。沖縄戦における死者は24万人、うち沖縄一般市民は9万人。沖縄人の1/3が死んでいる。どうにか幸雄は生き残った。アメリカ兵に追われた日本兵が、一般市民を盾にするような状況でも・・・。沖縄人にとっては、アメリカ兵も本土の日本兵も敵だったのだ。やるせない; 戦後に幸雄の家はアメリカ兵相手の飲食・風俗営業店を経営し、そこそこの成功をする。戦争による実に皮肉な結果、あるいは沖縄人の生きるたくましさなのか。そこで幸雄はジューク・ボックスから流れるアメリカのロックを体験する。自ら演奏も始める。

 本土に就職した幸雄と追って、カッチャンがバンド結成の誘いの為に状況する。後にCONDITION GREENのVoになるカッチャンは、ジョージ紫、チビ、そして幸雄と並ぶ沖縄ハード・ロックの主人公だった。で、カッチャンと結成したバンドはウィスパーズ。活動の為に沖縄に戻る。'67年のこと。

 ウィスパーズが沖縄ロックの代表格となる頃、ベトナム戦争の景気の共に沖縄のロック・シーンが盛り上がりを見せる。チビもこの頃からバンド活動を始めている。そして、幸雄はマリーと出会う。子供が出来て結婚する。ベトナム戦争の激化と共に、沖縄を基地としていたアメリカ軍人が落としていくお金の為に、ますます景気はよくなる。その景気を狙って暴力団が生まれる。バンドはショバ代を要求される。払わないと、大事な指を切るぞと脅される。カッチャンは支払わなかったばかりに・・・;

 音楽的理由もあり、ウィスパーズは解散。'69年に幸雄はクリスタルチャインを結成する。比嘉ジョージ(後にジョージ紫と改名する)がメンバーにはいた。ほ〜ら、この本を読む前までは、ジョージが沖縄の主役と思っていたのに、その主役のはずのジョージが後から幸雄に絡んできたのだった。ジョージはハワイ3世。祖父が沖縄人。アメリカ国籍でアメリカに住んでいたが、ベトナム戦争の徴兵の為に沖縄に逃げてきた。そして、クリスタルチャインにはチビも参加している。このバンドは音楽的にはレベルが高かったが、個々の個性は強く、仲良しバンドでもなかったので、バンド内の争いが絶えずに解散することになる。ジョージは城間兄弟のいるピーナッツへ参加、チビはクリスタルチェインを引継ぎ、幸雄はジグザグを結成する。ジグザクにはマリーがKey兼Voとして参加することになる。

 現在、沖縄におけるアメリカ兵の少女暴行事件が大きな波紋になっているが、何も今に始まったことではない。当時はまだ占領下にあったとはいえ、'90年代になって、やっと日本全体が動きだした、という思いになる。遅すぎる、という思いになる。幸雄の祖母は暴走したアメリカ兵の車に跳ねられて、死んでいる。そのアメリカ兵は、基地内の裁判で無罪判決になっている。こんなことが何度も起きているのだ。'70年に、度重なるアメリカ兵の横暴な行為に不満が爆発し、大きな暴動が発生する。アメリカを憎む。でも翌日にはアメリカを客にして演奏する・・・誰もが複雑な思いだったろうに。

 '71年、紫、キャナビス、CONDITION GREENの3つのバンドが勢揃いする。沖縄ハード・ロック黄金期の始まりなのだろうか。紫は前述の城間兄弟のバンド、ピーナッツにジョージが参加して発展したバンド。城間兄弟もまた、フィリピン人軍人を父に持つハーフであった。しかも父親は戦死している。キャナビスはチビが参加したバンド。CONDITION GREENはカッチャンが結成したバンド。

 '72年に沖縄が本土復帰。景気が下降する。幸雄は音楽から足を洗う。いろいろな職を転々とした。その頃自分のバンドであったはずのCONDITION GREENから追い出されてしまったカッチャンが、幸雄にバンド結成を呼び掛け、バンドを結成する(バンド名不明)。そのバンドは紫やCONDITION GREENと肩を並べるほどに人気を博したが、活動の拠点であったディスコの閉鎖と共に静かに終わる。一方で紫は自ら経営していたライヴハ
ウスがあったので、経営者や契約金などに振り回されることなく、ロックのみに打ち込めた。それが成功の一因でもあった。幸雄は自らディスコの経営に乗り出す。そしてマリーを独立のシンガーにしたバンドを結成する。これがMARIE WITH MEDUSA。

 '76年にはクリエイション、カルメン・マキ、紫、ダウンタウンブギウギバンドが出演するフェスティバルのオープニングを努める。'81年にNHKが取材をして、本土にも大きく知られる存在となる。そして、レコード会社と契約し、デビュー盤『狂い咲きライラック』をリリースする(シングルだと思う)。続いて大阪でのライヴで本土デビュー、その模様はライヴ・アルバムとしてリリースされた。前途は洋々なようだが、既にこの時にMARIE WITH MEDUSAは本来の姿を失っていた。アメリカ人相手に英語で歌っていたのだが、レコード・デビューに際しては、初めて日本語で歌わされた。沖縄のロックではなくなっていたのだ。この本の物語は、マリーが活動の拠点を沖縄に戻して、再出発するところで終わる。

 この本の出版後は、音楽が主題のはずなのに、必然的に沖縄の戦争絡みの多数の事実が出てくるわけで、多くの反論や訂正の指摘があったそうだ。文庫版化では、その懸念部分が削除、訂正されているとか。

 私が入手している彼女のアルバムは2枚。ライヴ・アルバムとスタジオ・アルバム。改めてクレジット関係をチェックすると、2枚ともプロデューサーとして幸雄の名前があった。またスタジオ・アルバムの方でKeyを弾いて、編曲などを手懸けているのは中島優貴。チビやCONDITION GREENのシンキ、ジョージ紫&マリナーのJJの沖縄人とHEAVY METAL ARMYを結成するプログレ畑のキーボーディストであった。

 幸雄は現在、ライヴカフェKOZAを経営している。FM STATION誌に以前載ったsinonの記事に何気なく経営者・喜屋武幸雄(愛称・オユキ)として紹介されていた。かっこ、愛称オユキというのが、ちょっと違うんじゃないのと泣きたくなるが、まあ同名別人ということじゃないでしょう。かつてアメリカ兵からは喜屋武からケニーと呼ばれていたというのに・・・。   (純生)


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